YouTubeを見ていると、ときどき世界が大変なことになっている。
「2030年、世界はこうなる」
「中央銀行が金を買い続ける本当の理由」
「ドル基軸通貨の終わり」
「AIが仕事を奪う」
そんなタイトルが次々と目に入ってくる。
私自身、こういう話が嫌いなわけではありません。
むしろ気になります。
一本見てしまうと、関連する動画も見たくなる。
「なるほど」と思って次を見る。
すると、また別の不安になる話が出てくる。
気づけば結構な時間が経っています。
ところが、画面を閉じてみると、何か行動が変わったわけでもない。
投資方針を変えたわけでもない。
生活の中で何か新しいことを始めたわけでもない。
残っているのは、世界がなんとなく大変なことになっているという不安と、少しの疲労感だけだったりします。
それは事実だけど、で?
たとえば、世界の中央銀行が金を買っている。
これは実際に起きていることです。
では、なぜ買っているのか。
外貨準備の分散かもしれない。
地政学的なリスクへの備えかもしれない。
価値を保存する資産として金を評価しているのかもしれない。
ここまでは、考えてみる価値があると思います。
でも、そこから、
「ドル基軸通貨は崩壊する」
となると、話は少し変わってきます。
さらに、
「だから個人投資家も今すぐ金を買わなければならない」
となれば、もう一段別の話です。
事実がある。
その事実をどう解釈するかがある。
そこから未来をどう予想するかがある。
そして、その予想をもとに自分のお金をどう動かすかがある。
私は、この間にはそれぞれ結構な距離があると思っています。
だから、刺激的な情報を見たとき、ときどき自分に聞いてみます。
「それは事実だけど、で?」
冷たく聞こえるかもしれません。
でも、言いたいのは「どうでもいい」ということではありません。
その情報を知ったことで、自分は何を変えるのか。
そこまで考えてみる、ということです。
画面に映っている世界は、世界そのものではない
もう一つ、最近気をつけていることがあります。
一度あるテーマの動画を見ると、それに近い動画が次々と表示されます。
金について見れば、金の動画。
AIのリスクについて見れば、AIの動画。
世界経済の危機について見れば、また別の危機についての動画。
便利な仕組みです。
犬の動画を見れば、かわいい犬をたくさん見せてくれます。
だから、アルゴリズムが悪いと言いたいわけではありません。
ただ、自分では能動的に世界について調べているつもりでも、実際には、一度自分が反応したテーマから見える世界を、繰り返し見ているだけなのかもしれない。
そんなことは、ときどき意識しておいた方がいいと思っています。
画面の中が世界経済の危機ばかりになれば、世界全体が危機に向かっているように感じる。
AIの脅威ばかり見ていれば、もうすぐ人間の仕事がなくなるように感じる。
でも、画面に映っている世界は、世界そのものではありません。
見たくなる情報と、必要な情報は同じではない
人の不安を刺激する情報は、気になります。
「大丈夫です」と言われるより、
「知らないと危険です」
と言われた方が、その先を知りたくなる。
私も同じです。
だから、気になる動画を見てしまうこと自体を悪いとは思いません。
勉強になることもあります。
ただ、一つだけ区別しておきたいと思っています。
見たくなる情報と、自分に必要な情報は、同じではない。
どれだけ再生されているかと、その情報が自分の人生にどれだけ重要かも、同じではありません。
それに、情報を見るたびに行動する必要もありません。
金についての動画を100本見ることと、自分の資産の中で金にどんな役割を持たせるかを決めることは、別の話です。
世界経済の先行きが不安だからといって、次に起こることを当て続けなければならないわけでもありません。
未来が分からないからこそ、私はいくつかの可能性に耐えられるように資産を配分しておく方がいいと思っています。
自分でできる備えをする。
そして、備えた後まで心配し続けない。
それくらいでもいいのではないでしょうか。
不安になるたびに、答えを探さなくてもいい
こういう動画を見すぎて少し疲れたとき、私は同じYouTubeで川のせせらぎの動画を見ることがあります。
犬が遊んでいるだけの動画を見ることもあります。
さっきまでドルの将来やAIの暴走について考えていたのに、今度は川が流れているのを眺めている。
犬が走っているのを眺めている。
何かを学んでいるわけではありません。
何かの役に立つわけでもありません。
でも、たぶんその時間の方が必要なこともあります。
不安になると、私たちはもっと情報を集めれば安心できるような気がします。
でも、新しく得た情報が、また別の不安を連れてくることもあります。
そんなときは、もう一つ答えを探すのではなく、そこで情報を見るのをやめてもいい。
世界のことを知らなくていい、という話ではありません。
私もニュースは見ます。
世の中で何が起きているのかを知ることは、必要だと思っています。
ただ、
世界について知ることと、世界のすべてを背負うことは違います。
世界の不安に、自分の時間を使いすぎない
お金には限りがあります。
だから、何に使うかを考えます。
でも、限りがあるのはお金だけではありません。
時間にも限りがあります。
自分が何を見るか。
何を考えるか。
何に心を動かされるか。
そんな注意力にも、たぶん限りがあります。
世界では、明日もいろいろなことが起きます。
中央銀行も動くでしょう。
AIも進化するでしょう。
市場も上がったり下がったりします。
その中には、知っておいた方がいいこともあります。
でも、そのすべてを自分の問題にする必要はありません。
知っておく。でも、背負わない。
画面を閉じれば、いつもの生活があります。
夕方になれば日が沈む。
ご飯を食べて、眠る。
朝になったら、また一日が始まります。
投資も情報も、その生活を少し良くするためのものだったはずです。
世界の不安に、自分の時間を使いすぎない。
私は、それくらいがちょうどいいと思っています。
このテーマを、もう少し考える
投資の勉強にも、終わりがあっていい
→「投資の勉強は、いつまで続ければいいんだろう」
相場を見続けることが、投資とは限らない
→「証券口座を閉じたあとも、相場を見続けていませんか?」
投資に使う時間そのものを考えてみる
→「投資にも、遊びのお金があっていい」
